斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

遊牧民ネタと半径5mの出来事を中心に書きたいと思っております。

擦り込みについて

千葉豪雨災害で被災された皆さまにお見舞い申し上げます。

 

今回もまた、カ🍁ダのネタが絡んできます。そして今日は長い。

 

自身としては、モンゴルとか中央アジアとか、東欧とかのネタを求めることが多いにも関わらず、このブログは“カ🍁ダ”という文字を書いた数の方が結局多かったことに気づいた。

 

カ🍁ダというのは、北米のカ🍁ダである。

 

またか。と思われるが、こちらとしてもまたカ🍁ダに関することを書かなければならないと思っている。本来このブログは、遊牧民のネタを主に扱うブログにするはずであった。

 

 

最近、TLで流れてきたスレッズで、

 

「カ🍁ダの美徳意識」

 

について書かれたものがあった。他にも色々あるのだろうけど、その中に“respect “というものがあるらしい。

 

これを呟いた人は、カ🍁ダ・バンクーバーに1年住んだ人である。その人が言うには、カ🍁ダといってもバンクーバーしか知らんから、カ🍁ダ全土の美徳意識かどうか分からないと言ってる。

 

自身はカ🍁ダに行ったこともなければ、住んだこともない。スレッズでの個人の呟きを鵜呑みにするしかない立場である。これは話半分にと思っている。“respect “とは尊敬を意味する。

 

日本人も「尊敬」は、美徳意識にしていると思う。

 

バンクーバー住みのその人は、日本人とカ🍁ダの人とは「尊敬」という美徳意識に対して、少しロジックが違うと言っていた。

 

その人の書き方も、分かりやすくはないので、自身の解釈が歪んでいる可能性もあるが、カ🍁ダの人と日本人との決定的な違いがあるらしい。

 

カ🍁ダの人の方は、人助けをする場面に於いて「何かあったら言って来てね」という感じで遠くから見守るって感じ。らしい。

 

これが日本人だと、人助けをする場面で、親切心や思いやりで、良かれと思うことを自分から積極的に次々次々手出しをして、ついでに自分が良かれと思う事をあれこれと助言する。

 

この筆者は、日本に帰って来た際このような場面に遭遇すると「共同体にいる」っていう感じで、周囲との一体感を覚えるという。

 

これは日本だけしか知らなければ、別に何とも思わない当たり前の事なのだろうが、カ🍁ダという日本とは全く違うしきたりの外国に住む事によって得られる感覚なのだろう。

 

カ🍁ダの人は、闇雲に助言することを避けるらしい。インストラクターでさえ、時間外であれば、「助言してもいいですか?」と断りを入れてから助言するらしい。生徒も、時間外だから助言を断るという選択肢がある。

 

カ🍁ダの人の“遠くから見守る感じ”というのを筆者の解釈によれば、人助けをする側が相手に対して、どこまで手出しをして良いか?聞いてからその範囲内で世話をする。人助けされる側も余計な手出しをされない。

 

それが筆者のいう、カ🍁ダの人の相手に対するrespectらしい。それが美徳意識だという。

 

自身は、それが感覚として非常によく分かる。

 

勿論、自身は前もブログに書いたように海外とは縁もゆかりもない。カ🍁ダというモノは生育環境に無かったし、生身のカ🍁ダ人に遭遇した事もない。それ故カ🍁ダには興味や関心が全くない。

 

だから、「感覚としてよく分かる」というのは、勘違い解釈だと考えている。自身とカ🍁ダ人が同じロジックであるはずがない。

 

その美徳意識は、カ🍁ダ特有のものではないと思う。

 

フィンランド人にとって美徳なのか分からないが、よく似たものがある。

 

以前書いたフィンランド人についての記事にある、

 

「相手の領分(責任)を尊重し、人を助けるにも距離感を意識し、相手の責任を奪うような闇雲な手出しをしない。」

 

というのが、よく似ているように見える。本当にrespect だ。

 

フィンランド人にとって、責任を奪われることは、自由を奪われることと同じと捉えるらしく、何よりも自由を奪われる事を最も嫌うらしい。とにかく干渉される事が大っ嫌いらしい。

 

フィンランドの件は過去に見た、フィンランド在住20年の人のツイッターであるのでうろ覚えだ。

 

フィンランドでは「自立」というのが美徳意識らしく、公共の交通機関よりも車を使う方が「自立」だし、何でも自分で作る事が「自立」らしい。

 

フィンランド人は自身などよりもカ🍁ダ人の方がよく似ているのかも知れない。カ🍁ダ人の方が先にフィンランド人になってしまう。

 

カ🍁ダもAB型が多いのだろうか?

 

でもフィンランドとカ🍁ダの頭の中のロジックは全く違うと思う。

 

不思議なのは、フィンランド人と自分が似ていると思うときは生まれた時から自分がフィンランド人のような性質かと思えたが、カ🍁ダ人の美徳意識が共感すると思うときは、擦り込みなのではないか?と思える事である。

 

フィンランドも、自身とは縁もゆかりも何もない。生身のフィンランド人に会った事もない。

 

しかし、何故か近しく思えた。理由の一つは、フィンランド語というのが、日本語と同じ語順であるというのがある。語順だけ同じ。フィンランド語は、ウラル・アルタイ語族→ウラル語族フィン・ウゴル語派→フィン・ペルム諸語→フィン・ラップ諸語に属する、バルト・フィン諸語の一言語。

 

ウラル語族というのはハンガリー語もこれに属する。ハンガリー語は、ウゴル語派である。

 

アジア諸語の一つを喋っていると聞いて、親近感を覚えた。もしかすると、氷河期の昔に、日本にウラル語族と共通祖先を持つ人々が日本に渡って来ているかも知れない。

 

そう考えると、自身の性質の中にもウラル語族と共通の感性があるのかも知れないと、誇大妄想が出来る。同じ語順で喋るということは頭の中の構造も似ている。ハンガリー人であるオーウェン氏の言ってる事を聞くと、随分日本人に軸が近い気がする。そして、ウラル語族は日本人と軸や感性が近いと思っていた。

 

しかしそういう意味では、カ🍁ダとの繋がりは何もない。カ🍁ダ人と自身とは何の関係もなく、全く性質が違う。

 

スレッズの筆者と同じ、カ🍁ダ・バンクーバーに3年間住んだ事のある、東京FMの某番組パーソナリティ、住◯さんによると、カ🍁ダ人は陽キャで友達を作るのが上手く、自己主張がとても強く、日本人よりもずっと気が強い。特に女性は男性よりもずっとキツイ性格だという感じがする。オープンマインドで、サービス精神旺盛であるような印象を受ける。

 

だから、スレッズの筆者が言うカ🍁ダ・バンクーバーでの美徳意識である、遠くから見守っているように感じられた”respect”とは、相容れないように思えた。

 

東京FMパーソナリティの住◯さんの話を聞く限りでは、カ🍁ダ人の親切とは、相手の気持ちを考えずに、良かれと思う事をゴリ押しするものに思えた。

 

一つ考えられるのは、「時代」による価値観の違い。住◯さんのカ🍁ダに関する情報は、昔のもの、45年くらい前の事が多い。45年も経てば、現代とは価値観も違うだろう。住◯さんがまだ高校生の頃だった。現地の白人女子たちのキツくてワガママな性格に辟易していたと言っていた。当時はまだ白人率が高く、差別や嫌がらせを学校で受けていたとラジオの公共電波で話していた。

 

スレッズのバンクーバー1年住みの筆者は、“respect”の美徳意識について、バンクーバーは移民が多く、多国籍な社会である為、相手に深く立ち入らず、このような人助けの形になったのだろうと考察していた。

 

自身のただの憶測だが、これは移民社会に向けた義務教育が”respect”という美徳意識を植え付けたのだろう。と考えている。元々カ🍁ダにあったものではないと思う。少なくとも、現在もカ🍁ダにいる英仏出身の白人の価値観には無かったものに違いない。フィンランド式教育をカ🍁ダ政府が取り入れたのかも知れなかった。

 

また、スレッズの筆者は、日本の共同体性とカ🍁ダの余計な手出しをしない文化の違いを、「皆でお米を作っていた人々」と「馬に乗って生活していた人々」の違いというように考えていた。

 

「馬に乗って生活していた人々」って、モンゴル人?ハンガリー人?

 

この一文にやたら引っ掛かる。

 

筆者はそんなこと一言もいってない。

 

多分カ🍁ダの英仏白人を指しているのだと思う。

 

フィンランド人は元々、馬を持たない遊牧民(牧畜民)であった。トナカイを飼育し、移動生活を送っていた。

 

多分この“respect”という美徳意識は、農耕民族ではない牧畜民ならどこでも誰でも当てはまるのではないか?とも考えられた。

 

カ🍁ダの英仏白人にも元々あった美徳意識なのかも知れない。「義務教育説」は単なる自分の憶測であった。

 

 

この、カ🍁ダ的、或いはフィンランド的な“respect”の精神に、自身は何故共感するのだろう?

 

自身は純系の日本人であり、日本人たちに囲まれて、共同体の歯車となって生きてきた。それしか知らない人生である。周囲には誰もそんな事を語る人もなく、自身の皮膚感覚に従った結果、“respect “的な精神に行き着いた。誇大妄想に耽ることなく、地に足をつけてよくよく考えたら、これの原因は

 

“擦り込み”

 

である。

 

バンクーバー暮らし3年+30年超カ🍁ダと関わりの深い東京FM某パーソナリティの住◯さんの話を10年以上聞き続けていれば、カ🍁ダ的な美徳意識は知らない間に擦り込まれてしまう。

 

住◯さん自身の言葉から”respect”についての件などは、一度も聞いた事はない。住◯さん個人の意見を喋る場面が数多くあって、その中からカ🍁ダ的な思考回路や美徳意識やら感性やらいろんな情報を脳が勝手に取り込んで、擦り込まれていったのだと考えられる。

 

恐らくそこには、皮膚感覚的なものもあり、自身の生本来の皮膚感覚だと思っていたものは実は住◯さんによる擦り込みだったのかも知れない。

 

もう一つは、遊牧関係の書物からの擦り込み。どういうわけだか、カ🍁ダの感性と遊牧民の感性とは相性がいいのか、違和感なく混ざり合ってしまったんだと思う。

 

それと、コロナ禍のソーシャルディスタンスの影響が治ってないのと、年齢的なものもある。

 

コロナ禍以降の社会全体の「バウンダリー」重視の傾向とか、「おひとり様」キャンプやレストランブーム、などとにかく人と人とが距離を置く風潮になっている事なども考えられる。

 

昭和の頃のような「大衆みんな揃って一緒に和!あっぱれ!」という世界ではなくなった。

 

いい時代だったなー🌆

 

 

生本来の自身の性質は、群れに憧れ、共同体を好み、人に依存する甘えの構造であり、かまってちゃんであったような気がする。そもそもカ🍁ダ人のように勝ち気でもなければ、性格がキツくはない。

 

8年前ぐらいから遊牧民に憧れ、あのような自立した人になりたいと思い、遊牧関係のモノに色々手を出した結末がこれでした。

 

普段聞いているラジオの影響についても、考えさせられた。

 

住◯さんは、カ🍁ダじまい(バンクーバーの実家じまい)をしてからこっち、きっぱりと、日本人らしい思考で言葉を喋るようになった。

 

長文をお読み頂きありがとうございます。